<rss version="2.0" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"><channel><title>写真論 | 霧の丘　Colline de brouillard</title><link>https://hitomi-izuno.themedia.jp/posts/categories/61999</link><description>写真論の一覧</description><atom:link href="https://hitomi-izuno.themedia.jp/rss.xml?categoryId=61999" rel="self" type="application/rss+xml"></atom:link><atom:link href="http://pubsubhubbub.appspot.com/" rel="hub"></atom:link><item><title>写真の亡霊〈３〉―痕跡としての写真　ゲニウス・ロキを視る</title><link>https://hitomi-izuno.themedia.jp/posts/2277774</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;　もはや写真はなにかを表現（＝expression）するものではなく、それ自体が対象物の存在を示す痕跡（＝impression）としてのみ成立すると仮定した場合、そこにはなにが現れるのか。ここにひとつの方法論を示したい。とはいえ、すべての意味を捨象した代償に、どのような方法もあくまでひとつの要素に過ぎなくなってしまったことを先に言及しておくべきだろう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　痕跡が成立し得る対象のひとつにゲニウス・ロキ（＝地霊）がある。土地とは、太古の海より隆起した土の塊で、そこには人間の営為が開始される以前からの様々な爪痕が残っている。同時に有史以後の度重なる人々の動き、その接し方に大小多少あれども膨大な記憶が宿っていることもまた事実である。この時間の流れの中に痕跡たるゲニウス・ロキを捉えることができれば、人間は語外の体験を肌身で受け止めることができるであろう。その体験もまた土地に蓄積され、ときに残酷な様相を表出させる。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ゲニウス・ロキとは邦訳すれば「土地の守護霊」と言える。近代における初出は１８世紀の英国詩人アレクザンダー・ポープ（Alexander Pope 1688―1744）が「バーリントン卿への書簡」（1731）の中で、土地柄やその雰囲気を指し、建築上重視すべき要素として扱ったところにある。以後、建築を語る指標のひとつとされ、その土地が背負った歴史や根付いた風土が建築様式に影響を与えるとした。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　鈴木博之（1945―2014）は、「単なる土地の物理的な形状に由来する可能性だけではなく、その土地のもつ文明、歴史、社会的な背景と性格を読み解く要素もまた含まれていることに触れ、１８世紀以降の所論をまとめる形でクリストファー・タッカー（Chiristopher Tacker 生没年不明）の「The History of Gardens, London, 1979」より次の要約を記している。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;―「ある場所の『雰囲気」』がそのまわりと異なっており、ある場所が神秘的な特性を持っており、そして何か神秘的なできごとや悲劇的な出来事が近くの岩や木や水の流れに感性的な影響をとどめており、そしてその特別な場所性がそれ自体の『精神』をもつとき」、そこには「ゲニウス・ロキ」がある―（『東京の[地霊]』文芸春秋・1990）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　地霊はその場所に感じる語外の空気感を決定する複合的な因子を指すと捉えられる。一方で鈴木が指摘する「文明や歴史などの背景と性格を読み解く」ことを捨象し、「感性的」あるいは「精神的」な因子としての存在に注視すれば、地霊を探す旅には〈境界地〉を見つけ出すことが有効である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　〈境界地〉は風景における時制、要素の差異、意味と意味外、生活と未踏の地など、行為の前後など、言語と非言語の境を指す。これらは単一的に、または入り乱れて存在し、出現が短長期に隔てなく眼前に現れる。それぞれの土地の核となる要素を抽出し、痕跡を写真によって再提示するのであれば、本来の記録性を含有しつつ、語外の体験を凝縮する手立てとなる。そういった意味で、写真は言語を用いることなく、記憶と体験とを保存する唯一の方法として成立し得ると考えられるのである。（おわり）「fusée mol：04」より&lt;/p&gt;&lt;p&gt;2016.09　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/112958/5c6470ccc0d0d4dbf7b86d505f86040d_8987077766296220293bc2a76b88d03c.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;</description><pubDate>Tue, 18 Apr 2017 07:54:51 +0000</pubDate><guid>https://hitomi-izuno.themedia.jp/posts/2277774</guid><dc:creator>伊豆野　眸</dc:creator><category>写真論</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/112958/5c6470ccc0d0d4dbf7b86d505f86040d_8987077766296220293bc2a76b88d03c.jpg"></enclosure></item><item><title>写真の亡霊〈１〉―バッチェンの解放</title><link>https://hitomi-izuno.themedia.jp/posts/2168455</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;　写真とは何か、写真には何が可能で何が不可能か。この問いは、語るに厄介な装置が誕生しておよそ２世紀が経とうとしている現在も、相変わらず写真論の存在意義を支える柱として居残り続けている。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　写真とは〈亡霊〉であると考えれば、それ自体を捉えやすくなる。長らく写真論の対極にあったフォーマリズムが美学的要素を説明しようと、反対にポストモダニズムがいかに社会学、現象学的言説（そのほとんどが権威構造の中に個人の知覚を埋没させる機構の存在を時に嫌になるほど繰り返し説明する結果から逃れられなかったとしても）で解説しようとしても、それは真であり、また偽である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　一般的に、わたしたちは自らの存在を疑うことはない。それと同様に世界の存在を自明として疑うこともない。わたしたちは自らの見ている他者の存在を疑い、世界の存在を疑うことも出来るが、疑うに足り得ない理由を探そうとし、短絡的な納得を得て、自らの存在の〈確からしさ〉を導きだしている。ただし、他者が自らと全く同様に自らを、世界を認識しているかについては終ぞ確認できないまま人生に幕を下すこともまた事実である。人類は自分たちのことを知れば知ろうとするほど、「自分たち」が「自分だけ」ではないかという妄想に駆られ、恐怖する。妄想を妄想だと嘲笑うために、強固な制度の城と偉大なるモラルの塔を建てる。互いを縛ることは自らを縛ることであるはずだが、自己存在の再定義を〈世界〉に埋没させる代償を払ってでも認識共有の安定を得ようとするし、収まりきらない間は「認識できないもの」としてとりあえずラベリングすることで認識領域の内に隷属させるプロセスを確立している。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　これらの思考の螺旋運動にとって言語は非常に有効な道具であった。逆に言えば、ポストモダニズムが懸命に言説を重ねてたどり着いた写真論が社会構造の解明に偏向してきたことも、写真の本質を諸要素による集合組織の美と解釈してきたフォーマリズムの動向にも納得できる。人類の英知として自らの存在を確固とした上で、〈共通認識〉を強制する動きに他ならない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　しかし、人間はその精神の成熟よりも遥かに発達した科学技術によってその柔軟かつ無機質でシステマティックな媒介を得たことで、根本的な問題に座礁してしまった。デジタル映像の出現によってである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ジェフリー・バッチェン（Geoffrey Batchen 1956‐）はデジタル映像の出現は写真にとって二つの〈死〉を身近なものとしたことを示唆している。要約すると、デジタル写真を「記号たる（アナログ）写真を示す記号」とした上で、①コンピューターによる画像処理の広範な導入によって写真の真正性が（より一層）疑われ、文化的技術的な地位が失墜してしまうのではないかという意味での〈死〉。②オリジナルとそのシミュレーション、真と偽、事物と記号、自然と文化など従来の認識論的布置を成してきた二項対立が失効してしまう状況を指す意味での〈死〉を捉えた。これらの〈死〉によって、かつてアナログ写真がもっていた様々な時制やそれらによる初体験をデジタル写真は背負う必要がないと説明している。（前川修・佐藤守弘・岩城覚久訳『写真のアルケオロジー』青弓社・2010）&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　では、わたしたちが追い求めてきた写真の本質とその効果そのものが失われてしまったのだろうか。「記号の記号」たるデジタル写真の登場によって、写真そのものが宿してきたものが無意味となった訳ではないし、バッチェンが示す諸体験が永遠に失われたわけではない。むしろ従前の〈解釈〉のフィルターを通さずとも肌身に感じることができるようになったと言えはしまいか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　写真は難解で捉えがたい〈亡霊〉としていまだ漂流している。かつて芸術からのあまりにも強い磁場を断ち切ろうとした写真が、逆に芸術へ憑依しようとしている様が露になったことも注意すべきである。われわれは、その評価の善し悪しは別にせよ、ジョン・バルデッサリ（John Anthony Baldessari 1931‐）、ゲルハルト・リヒター（Gerhard Richter 1932‐）、デイビット・サーレ（David Salle 1952‐）、シンディ・シャーマン（Cindy Sherman 1954‐）らの仕事に接し芸術が写真に巻き込まれていることを否定できない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私たちは亡霊の呪縛に憑依される一方でようやく、共通認識がいかに脆く、不確かな概念であるかを暴くことができた。確かに楽観視できるものでないにせよ、写真は生まれてはじめて統制を解き放たれて、外海へとつながる道を歩み始めたのである。いま人類は、新たな知覚の岐路に立った。（つづく）「fusée mol：02」（2016.03）より&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&amp;nbsp; 伊豆野眸&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/112958/99f9136624c3797185a9a5eb7ae864b2_c9cb8da84202861e2c7371d41d3061ec.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;</description><pubDate>Wed, 22 Mar 2017 15:26:48 +0000</pubDate><guid>https://hitomi-izuno.themedia.jp/posts/2168455</guid><dc:creator>伊豆野　眸</dc:creator><category>写真論</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/112958/99f9136624c3797185a9a5eb7ae864b2_c9cb8da84202861e2c7371d41d3061ec.jpg"></enclosure></item><item><title>写真雑誌「fusée」の創刊と姉妹誌 「fusée mol」の発行開始について</title><link>https://hitomi-izuno.themedia.jp/posts/532229</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/112958/bf3bcb98f59a24ebe5b4000bc098b6ad_6fdfd0b7d50de40857470c8079870388.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　ここに2012年末に記したメモがある。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　……昨今、デジタルカメラの隆盛に伴い、写真文化は非常に身近な存在となった。かつて、一部の技術者を指す言葉だった「写真家」は、もはや特別な職種・生き方を示すものではなくなったように思える。誤解を恐れずに言えば、一億総「フォトグラファー」の時代だ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　一方、写真文化に眼を向けてみると、それ自体は生まれ出でて四足で立てぬうちからすでに人々の欲望を満たす使命を背負い、貨幣経済の一構成要素として存在していたことに気がつく。もっと正確に表現すれば、欲望の臭気を嗅ぎ取って経済が忍び寄ってきたと解釈すべきかもしれない。が、この欲望と経済という二つの要素はあまりにも近接しすぎていて、鶏と卵の論争を始めかねない。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　問題は、欲望の内容である。そもそも写真の誕生は、科学的に陰影が構造的に安定した媒体に定着できることを偶然に発見した事実があるにせよ、眼前の風景を懐中にとどめたい欲求が多分に先行していたことは間違いない。写真史の黎明期に名刺版のブロマイドが数多くの写真館で撮影され、世に出回ったこと、やや遡れば、カメラオブスキュラの運用そのものが絵画における立体感を補助する機械であったことからも明白である。元来人間は、写真に「こうあってほしい」ことを願い続けてきた。と同時に欲望を満たす構造は機械技術の革新という形で昇華し、その副産物たる製品を我々に供給してきたわけである。ここに写真産業という巨大な市場が完成した。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　技術の進歩（＝カメラの機械的技術革新であったり新感光材の開発であったり）は、欲望を原動力に日々生まれ変わり、新たな表現形式を写真家に提供する代償を、膨れ上がる市場経済の中に還元した。周知の通りこの状況はデジタル時代を迎えてもなお変わることなく、むしろそのスピードを増し、規模を拡大した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　しかして、写真が表現を口にするとき、その隣にはいつも貨幣経済がいたと言えよう。すべからく市場主義に編入される世界の中にあって、何も写真だけが特別な存在なのではない。しかし、絵画や音楽に比べれば圧倒的に、その成立段階から、あるいは発生段階から経済との結びつきを強めていたという点においてはやや特殊かもしれない……&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　ほぼ同時期の別のメモには次のように書いていた。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　……私は長い間、強い違和感を覚えてきた。日本の写真文化を語る上で、カメラ雑誌が写真雑誌に比べて圧倒的に多い状況に、何かいやったらしい空気を吸い込むような気がしてならなかった。技術は進歩したはずだ。それと同義のように市場も飽和したはずだ。2000年代の初頭には世界を認識する術とうそぶいて、自称「女の子」たちに半径３メートル圏内のキッチュを大量に生産させたはずだ。人々はカラーコピー機でポートフォリオを気軽に作成できる方法を覚えたはずだ。インターネットが普及する頃には世界を相手にいわゆる「個の表出」が可能になったはずだ。それにも関わらず、写真家の発表の場は依然内向きである。私にとっては実にいやったらしい空気に思われた……&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　2013年が始まり、私は大学時代からの友人カンちゃんと後輩で松山のデザイナー塩見敏弘君に相談を持ちかけることにした。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　　①&#x9;新たな写真の発表媒体を作ること。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　　②&#x9;それは旧来から行われているものと形式的には何ら変わらないものであること。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　　③&#x9;形式は極力簡素にし、言葉をなるべく使わないようにすること。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　　④&#x9;スポンサーにたよらず、経済の流れと出来るだけ関わり合いを持たずにすむ方法であること。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　どれくらい話し合ったかは忘れてしまったが、割と長い時間をかけたように思う。以上の４つの要素を満たす方法は手弁当で発行する同人雑誌が適しているのではないかと結論付けた。「できるだけ若手が集るような媒体にしたいね」と、写真という霧が立ちこめる小さな丘からあげる烽火（のろし）を意識し、表題をフランス語（写真の発祥地！）で「fusée」（フュゼ）と決めた。当初は季刊と考えていたが、年１回の発行と、その間を埋めるように「mol」（＝分子）を散りばめる手法に転化し現在に至る。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　同人誌の発行に際し、先人たちが到達した暗闇についてまったく留意しなかったわけではない。無論、写真同人誌「プロボーク」がわずか数刊で廃刊したことを念頭に入れなかったわけではない。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　プロボークは1968～70年に発行された写真同人誌で、中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦といた正に時代の寵児が始め、２号から森山大道も参加している。「アレ、ブレ、ボケ」の三拍子揃ったコンポラ写真の見本雑誌であったし、本人たちが自覚していたようにあくまで「挑発的資料」の役割は果たしていた。が、短命に終わった企画には違いない。中平はこの雑誌の総括として自著「なぜ植物図鑑か」（1973、晶文社）で【…】「多分、私は二度と写真による同人誌などには参加しないだろう。そうすることによって生じるある種の自己満足などはしょせんドラスティックな現実からの逃亡をしか意味しないだろう、また私が出張するみずからの生の記録としての写真も一度マス・メディアを通した時、それは私の生の直接性からは遠くへだたった制度的な視覚の中に、その一つとしてまたたく間に翻訳されていってしまうのだ。」【…】と自戒の念を連ねている。中平の自弁については別の機会に考察するにせよ、この言説は一つの到達点であった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　確かに、方向性の異なる写真家が大雑把に同軸上の思想の下で発表形式にのみ縛られるのであれば、縛り上げた横からほころび始めるのは避けようもない。そういった意味でもプロボークは恐ろしく律儀で、同時に恐ろしく無責任な媒体でもあった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　しかし、20世紀末から21世紀初頭にかけての混沌とした写真表現を嫌というほど肌で感じている私たちは、中平が言うような「作品とはしょせん創り終えた時からおれの手を離れてまったく別の生き物だと言いきることによって、あるいはつながるかもしれぬ不確かなコミュニケーションの蓋然性にまかせる姿勢はあまりにも楽天的過ぎることである」（同）との指摘を直視しようと思う。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;　すなはち、写真は創作ではないこと、言葉のあらゆる束縛が写真の中に作り出す文脈への決闘を申し込むこと、解釈という名のご都合主義的なコミュニケーションに甘んじぬことを肝に銘じ、一瞬の知覚と素肌を振るわせる生の揺らぎを求めようと思う。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　私たちは烽火をあげることにした。丘の上から烽火をあげる。他の丘から返答の烽火があがるまで、細く長くのびる煙を絶やすことのないように。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;（2016.2.13）&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Fri, 12 Feb 2016 15:52:46 +0000</pubDate><guid>https://hitomi-izuno.themedia.jp/posts/532229</guid><dc:creator>伊豆野　眸</dc:creator><category>写真論</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/112958/bf3bcb98f59a24ebe5b4000bc098b6ad_6fdfd0b7d50de40857470c8079870388.jpg"></enclosure></item></channel></rss>