写真の亡霊〈1〉―バッチェンの解放

 写真とは何か、写真には何が可能で何が不可能か。この問いは、語るに厄介な装置が誕生しておよそ2世紀が経とうとしている現在も、相変わらず写真論の存在意義を支える柱として居残り続けている。

 写真とは〈亡霊〉であると考えれば、それ自体を捉えやすくなる。長らく写真論の対極にあったフォーマリズムが美学的要素を説明しようと、反対にポストモダニズムがいかに社会学、現象学的言説(そのほとんどが権威構造の中に個人の知覚を埋没させる機構の存在を時に嫌になるほど繰り返し説明する結果から逃れられなかったとしても)で解説しようとしても、それは真であり、また偽である。

 一般的に、わたしたちは自らの存在を疑うことはない。それと同様に世界の存在を自明として疑うこともない。わたしたちは自らの見ている他者の存在を疑い、世界の存在を疑うことも出来るが、疑うに足り得ない理由を探そうとし、短絡的な納得を得て、自らの存在の〈確からしさ〉を導きだしている。ただし、他者が自らと全く同様に自らを、世界を認識しているかについては終ぞ確認できないまま人生に幕を下すこともまた事実である。人類は自分たちのことを知れば知ろうとするほど、「自分たち」が「自分だけ」ではないかという妄想に駆られ、恐怖する。妄想を妄想だと嘲笑うために、強固な制度の城と偉大なるモラルの塔を建てる。互いを縛ることは自らを縛ることであるはずだが、自己存在の再定義を〈世界〉に埋没させる代償を払ってでも認識共有の安定を得ようとするし、収まりきらない間は「認識できないもの」としてとりあえずラベリングすることで認識領域の内に隷属させるプロセスを確立している。

 これらの思考の螺旋運動にとって言語は非常に有効な道具であった。逆に言えば、ポストモダニズムが懸命に言説を重ねてたどり着いた写真論が社会構造の解明に偏向してきたことも、写真の本質を諸要素による集合組織の美と解釈してきたフォーマリズムの動向にも納得できる。人類の英知として自らの存在を確固とした上で、〈共通認識〉を強制する動きに他ならない。

 しかし、人間はその精神の成熟よりも遥かに発達した科学技術によってその柔軟かつ無機質でシステマティックな媒介を得たことで、根本的な問題に座礁してしまった。デジタル映像の出現によってである。

 ジェフリー・バッチェン(Geoffrey Batchen 1956‐)はデジタル映像の出現は写真にとって二つの〈死〉を身近なものとしたことを示唆している。要約すると、デジタル写真を「記号たる(アナログ)写真を示す記号」とした上で、①コンピューターによる画像処理の広範な導入によって写真の真正性が(より一層)疑われ、文化的技術的な地位が失墜してしまうのではないかという意味での〈死〉。②オリジナルとそのシミュレーション、真と偽、事物と記号、自然と文化など従来の認識論的布置を成してきた二項対立が失効してしまう状況を指す意味での〈死〉を捉えた。これらの〈死〉によって、かつてアナログ写真がもっていた様々な時制やそれらによる初体験をデジタル写真は背負う必要がないと説明している。(前川修・佐藤守弘・岩城覚久訳『写真のアルケオロジー』青弓社・2010)

 では、わたしたちが追い求めてきた写真の本質とその効果そのものが失われてしまったのだろうか。「記号の記号」たるデジタル写真の登場によって、写真そのものが宿してきたものが無意味となった訳ではないし、バッチェンが示す諸体験が永遠に失われたわけではない。むしろ従前の〈解釈〉のフィルターを通さずとも肌身に感じることができるようになったと言えはしまいか。

 写真は難解で捉えがたい〈亡霊〉としていまだ漂流している。かつて芸術からのあまりにも強い磁場を断ち切ろうとした写真が、逆に芸術へ憑依しようとしている様が露になったことも注意すべきである。われわれは、その評価の善し悪しは別にせよ、ジョン・バルデッサリ(John Anthony Baldessari 1931‐)、ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter 1932‐)、デイビット・サーレ(David Salle 1952‐)、シンディ・シャーマン(Cindy Sherman 1954‐)らの仕事に接し芸術が写真に巻き込まれていることを否定できない。

私たちは亡霊の呪縛に憑依される一方でようやく、共通認識がいかに脆く、不確かな概念であるかを暴くことができた。確かに楽観視できるものでないにせよ、写真は生まれてはじめて統制を解き放たれて、外海へとつながる道を歩み始めたのである。いま人類は、新たな知覚の岐路に立った。(つづく)「fusée mol:02」(2016.03)より

                                                     伊豆野眸

Colline de brouillard 霧の丘

写真家・伊豆野 眸の公式サイト

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