写真の亡霊〈3〉―痕跡としての写真 ゲニウス・ロキを視る

 もはや写真はなにかを表現(=expression)するものではなく、それ自体が対象物の存在を示す痕跡(=impression)としてのみ成立すると仮定した場合、そこにはなにが現れるのか。ここにひとつの方法論を示したい。とはいえ、すべての意味を捨象した代償に、どのような方法もあくまでひとつの要素に過ぎなくなってしまったことを先に言及しておくべきだろう。

 痕跡が成立し得る対象のひとつにゲニウス・ロキ(=地霊)がある。土地とは、太古の海より隆起した土の塊で、そこには人間の営為が開始される以前からの様々な爪痕が残っている。同時に有史以後の度重なる人々の動き、その接し方に大小多少あれども膨大な記憶が宿っていることもまた事実である。この時間の流れの中に痕跡たるゲニウス・ロキを捉えることができれば、人間は語外の体験を肌身で受け止めることができるであろう。その体験もまた土地に蓄積され、ときに残酷な様相を表出させる。

 ゲニウス・ロキとは邦訳すれば「土地の守護霊」と言える。近代における初出は18世紀の英国詩人アレクザンダー・ポープ(Alexander Pope 1688―1744)が「バーリントン卿への書簡」(1731)の中で、土地柄やその雰囲気を指し、建築上重視すべき要素として扱ったところにある。以後、建築を語る指標のひとつとされ、その土地が背負った歴史や根付いた風土が建築様式に影響を与えるとした。

 鈴木博之(1945―2014)は、「単なる土地の物理的な形状に由来する可能性だけではなく、その土地のもつ文明、歴史、社会的な背景と性格を読み解く要素もまた含まれていることに触れ、18世紀以降の所論をまとめる形でクリストファー・タッカー(Chiristopher Tacker 生没年不明)の「The History of Gardens, London, 1979」より次の要約を記している。

―「ある場所の『雰囲気」』がそのまわりと異なっており、ある場所が神秘的な特性を持っており、そして何か神秘的なできごとや悲劇的な出来事が近くの岩や木や水の流れに感性的な影響をとどめており、そしてその特別な場所性がそれ自体の『精神』をもつとき」、そこには「ゲニウス・ロキ」がある―(『東京の[地霊]』文芸春秋・1990)

 地霊はその場所に感じる語外の空気感を決定する複合的な因子を指すと捉えられる。一方で鈴木が指摘する「文明や歴史などの背景と性格を読み解く」ことを捨象し、「感性的」あるいは「精神的」な因子としての存在に注視すれば、地霊を探す旅には〈境界地〉を見つけ出すことが有効である。

 〈境界地〉は風景における時制、要素の差異、意味と意味外、生活と未踏の地など、行為の前後など、言語と非言語の境を指す。これらは単一的に、または入り乱れて存在し、出現が短長期に隔てなく眼前に現れる。それぞれの土地の核となる要素を抽出し、痕跡を写真によって再提示するのであれば、本来の記録性を含有しつつ、語外の体験を凝縮する手立てとなる。そういった意味で、写真は言語を用いることなく、記憶と体験とを保存する唯一の方法として成立し得ると考えられるのである。(おわり)「fusée mol:04」より

2016.09 



Colline de brouillard 霧の丘

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