蟲日記 序章ーその2

 技術と知識とは相反するが故にバランスが不可欠である。写真家は常々そう心に留めてきたつもりでいた。が、自動車のことについては他の多くの日本人と同様、ほとんど何も知らないし、普通自動車免許(中型)以上の技術も持ち合わせていない。ただ、写真家が少し風変わりだったのは現在市販されている自動車にあまり興味が持てず、彼の眼に止まるのは、何十年も前に基本構造が確立された車種か、あるいは地方都市には極端にディーラーの数が少ないものばかりであった。元来泡銭が手に入ると、カメラやレンズ、写真関係機器の購入費に投入してきたことも手伝って、自然と中古車ばかりを選んでいたことも一部起因している。

 彼が自らの名義で手に入れた初めての自動車は英国ローバー社96年製のミニ・クーパーメイフェア(1.3i)であった。予てより車を所持するようになったら、そのヤーライ式流線型ボディの魅力をもって、西ドイツ製のフォルクスワーゲン・Type1(ビートル)を求めることに決めていた。元来、維持するための知識や技術など考えることもなかった。まさに悲劇である。2010年夏、勇んでアパート近くの中古車業者に相談しに行くと、予想通りそこに実車はなかった。全国の中古車業者に照会してもらう段取りをつけて店から出たときだった。眼が合ってしまったのである。真っ赤な光沢の、小さなボディが真夏の太陽を一身に受けているとさえ思えた。すぐさま引き返し、試乗を頼んで、その日のうちに契約した。いま思い返せば、間違いなく若気の至りであるが、とんとん拍子にことは運び、翌週には納車となった。金額にして40万円弱。そのほとんどが車検代であったことは言うまでもない。

 パワーステアリングなどない。恐ろしく小さな車体であるが、小廻りの利かない車であった。しかし、写真家は非常に気に入っていた。泣く子も黙るほど無茶な乗り方をしたことが、当時の彼の日記から想像できる。極限にまで絞り込まれたフォルムに1300ccものエンジンが搭載され、大人4人が何とか乗り込める設計に潔さを感じていた。一般に旧ミニ(BMW社傘下後の新ミニは、ミニではなく「デカ」とでも名付けるべきだ)は、その安全機構のなさから「走る棺桶」と呼ばれている。そのソリッドな思想も彼の性格上の破綻から「最良の選択」と変換されていた。

 冷却水漏れで煙を出しながら止まったこと、クーラー用のベルトの設置が悪くスイッチを入れた瞬間からけたたましく鳴き始めることには眼をつぶった。この車には良く乗った。2年後に悲劇を経験するまでは。

 2014年夏。いつものように、後の妻を助手背に乗せて走っていると、急に異音がし始めた。凸凹道で急加速・急停止を繰り返していたわけではない。「ギャギャギャギャ!」と明らかに好ましくない音がタイヤ周辺からとどまることなく聞こえている。運悪くその日は購入した中古車業者が定休日。急いで複数の知人にどこか良い修理工場がないか聞いて廻るも、旧車をきちんと扱える場所は思い浮かばないという。しかし、捨てる神あれば拾う神あり。「もしかすると」くらいの話で一件だけ見つかった。それが主治医との出会いとなった。

 診断結果は驚くほど単純かつ複雑だった。ベアリング部分の4つともに石が詰まっているとのこと。そして、思わぬことに、その石が重要な箇所を数点破壊してしまっていること。異音は徐々に破壊される部品の断末魔ということであった。修理価格はおよそ30万円。親切にも、最寄りの修理工場でも対応できるようにと、診断書を無料で書いてくれた。当時大きな支払いの直後で預金がなかったこともあり、暫く知人の自動車販売業者で預かってもらうことにした。問い合わせると、知人のメカニックでも対応できるとのこと。

悪い癖が出てきた。「この車にあと何年くらい乗りたいのか」、急に分からなくなってしまったのだ。愛着をもって触れてきたものに、恐ろしく冷淡になれるのもまた、彼の特性である。特に道具に対してはことさらその特性は強く生じるように思える。自分の手や眼の延長だと思えるほど慣れ親しんだカメラでさえ、急激に興味を失うことがままある。彼の中では明白に、時々に合わせて「最良」をその岐路ごとに選択しているに他ならなかったが、理解できる人間が一握りしかいないこともまた事実である。

 しばらくして、知人から修理するか否かの催促の電話があった。気乗りしない写真家ではあったが、人に迷惑をかけられないと思い立ち、重い足を引きずるように電話の主のもとへと向かった。道中、「しばらく金ができるまでは車のない生活も良いかな」と自らを納得させようとしていた節がある。そんな矢先、また眼が合ってしまった。

 昼下がりから降り始めた雨がしとしとと幌を濡らす。暗がりにブルーが映える英国ロータス社2003年製エリーゼ・フェイズ2の姿があった。ローバー社製1800ccエンジンを搭載した最後期モデルだったように記憶している。写真家の別の「悪い癖」が出ようとしていた。目の前にある新しいものを「最良」と捉えるご都合主義的な思考回路の構築は、稲妻より早く彼の脳天に達していた…………。

 

 結論から言えば、「悪い癖」で手に入れたエリーゼは2年も経たぬうちにコンクリート塀に衝突させ、FRPボディの性をまざまざと見せつけることに成功した。見るも無残に割れたボディの修復費は実に福沢諭吉翁120人分に近くとも遠からず。目の玉が飛び出そうとはこのことで、あまりに高額な支払いに尻込みしてしまい、泣くより早く手放すこととなった。

 エリーゼの「最良」については、この日記にわざわざ記さずとも他の手記が雄弁なのに任せるとする。一言だけ私見を弄すれば、その大きな特徴は動物的な、正に野生を提供してくることだろうか。あるメカニックは語る。「ポルシェがより遠くまで、もっと遠くまで足をのばしたくなる車なのに対して、エリーゼは近くでハラハラしたい車。これ、いい意味ですよ!」とのこと。そうかもしれない。

 こうして写真家は3台目の車を購入するための切符を手に入れた。悲観すべき事態ではあったが。ただ、それが長く過酷な旅路になろうとは、川縁でごっそりバンパーの落ちたエリーゼを眺めるこのときの彼に予想せよということ自体、まったく不可能な話である。(つづく)

Colline de brouillard 霧の丘

写真家・伊豆野 眸の公式サイト

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